2015年1月12日 星期一

20150112 (月) 伊能忠敬


地図には沿道の風景や山などが描かれ、絵画的に美しい地図になっている点も特徴の1つである[301]

厳格な性格だった。測量期間中は隊員に禁酒を命じ、規律を重んじていた[365]。また、能力の低い隊員に対しては評価が厳しく、測量中に娘の妙薫にあてた手紙にも、隊員についての愚痴がいくつもつづられている[366]。身内でも特別扱いせず、息子の秀蔵も1人の内弟子として扱い、そして最終的には破門している[365][367]
また、根気強く、几帳面であった。測量中に合わせて51冊の日記(『伊能忠敬先生日記』)を残し、後にそれを清書して28巻の『測量日記』としてまとめた[368]。測量作業においても、技術の革新はなかったが、根気強い観測と様々な工夫でそれを補った[369]
商売人であったことから金銭には厳しく、家人にあてた手紙にも、「野菜や薪など買わなくてすむものに金を使うな」「ためることが第一」などと書かれている[370]。また飯炊きが毎日米を少しずつくすねていたのを忠敬が気付き、咎めたとの記録もある。晩年、自身が病気になって江戸の自宅で玉子酒を飲んで治療をしている時も、卵は江戸より佐原の方が安いから佐原で多めに買って江戸まで送るように指示を出している[371]。一方で天明の飢饉の時には貧民に米などを分け与えたりしており、また九州測量中にも、利根川の洪水で被害を受けた人々にほどこしを与えるよう指示している。ただしこの時、食べていける者にも分け与えることは名聞を求めるのにあたるから慎むべきだとしている[372]。これらのことから、忠敬は意味のあることについては大金を投じることも惜しまないが、そうでないことには出さないという、合理的な考えの持ち主だったことがうかがえる[373][374]

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